第1章 心理学とは
1-1. 心理学とは
心理学が目指しているもの: 科学的・客観的な手法に基づいて、人間全般の心や行動の原理(法則性)を見出すこと
心の科学, 行動の科学
仮説検証型の研究: 仮説を立て、その仮設が正しいかどうか研究
仮説生成型の探索的な研究もある
具体的には、ある人々を対象に、特定の行動や態度、能力などを調べ、その全体的な傾向(平均値など)をグループ間や条件間で比較することによって、原理や法則性を導き出すことが多い
例
男性は総じて未婚者よりも既婚者のほうが健康度が高いのに対し、女性の健康度には未婚か既婚かによる違いはないか、あったとしてもごくわずかだった(稲葉, 2002; Kiecolt-Glaser & Newton, 2001)
男性は女性に比べて配偶者との死別や離別によって健康を害しやすく、寿命が短くなることも報告されている(石川, 1999)
これらのことから結婚生活によって健康への恩恵を被るのは主に男性ということができる
しかし、これに反する事例を見つけることも可能
1-2. 心理学の歩み
1-2-1. 心理学が成立するまで
1879年: ヴント(Willhelm Wundt: 1832-1920)がドイツのライプツィヒ大学に心理学実験室を設立(心理学の誕生) 実験室が心理学を理解するポイント
心理学が成立する以前から人間の心や行動について思索してきたが、あくまでも文芸的、思弁的であり、科学性や実証性という面では乏しかった
後に心理学の主要な研究テーマとなった。
人間の心は生まれつき決まっているのか、それとも生後の環境によって形作られるのか
フランスのデカルト(René Descartes: 1596-1650)ら 理性主義の考えを汲んで生まれた
アメリカの言語学者チョムスキー(Naom Chomsky: 1928-) すべての言語には普遍文法があり、人間には生まれながらに言語を習得する能力が備わっている イギリスのロック(John Locke: 1632-1704) 人間の心はもともと白紙(タブラ・ラサ)であり、その後の経験によって観念が書き込まれていく イギリスのダーウィン(Charles Darwin: 1809-1882)が提唱 自然選択: 動物と人間を連続したものと捉え、特定の環境下で生存・繁殖するのに最適な特性を持つ個体が選択される 20世紀末に誕生した進化心理学の礎ともなる
19世紀半ば: 心に関する様々な問いを自然科学的な手法を用いて明らかにしようとする動き
ドイツのフェヒナー(Gustav Fechner: 1801-1887) ヘルムホルツ(Hermann Helmholtz: 1821-1894) カエルの足を使って神経伝達速度を明らかにした
心理学は哲学を源流としながらも、19世紀に発展した生物学や生理学、物理学の理論や方法を借りて学問として独立するに至った
1-2-2. 初期の心理学
ヴントの実験室では、心理学に精神物理学や生理学の手法を取りれ、人間の意識(直接体験)を解明することを目指していた
内観法: 実験参観者に与える刺激を体系的に変化させ、そこで知覚された内容を言語で報告してもらう 内観法により意識の構成要素(感覚、イメージ、感情)とその統合過程を明らかにしようとした
ヴントの実験室からは多くの研究者が育った
ドイツのモイマン(Ernst Meumann: 1862-1915) クレペリン(Emil Krapelin: 1856-1926) 精神疾患の系統的分類を行い、精神医学の発展に大きく貢献した。 アメリカのキャッテル(James M. Cattell: 1860-1944) ドイツ出身のアメリカの心理学者
ウィトマー(Lightner Witmer: 1867-1956) アメリカで初めて心理学クリニックを開設
帰国後、心理学の研究・教育環境の整備
初期の学派
「心がどのような要素から構成されているのか」を追求
代表的な研究者はティチナー(Edward B. Titchener: 1867-1927) 心理学実験・実習の制度を確立し、現在各地の大学で行われている心理学実験の基礎を築いた
ヴントの後を継ぎ内観法により意識の構成要素を明らかにしようとした 心の機能的側面に重きを置く立場から「心が何のために存在するのか」を追求
人の意識は固定した要素に分けられるものではなく、水の流れのように環境に適応しようと絶えず動いているものと考えた。
自己理論: 自己を主体としての自己(主我, I)と対象としての自己(客我, me)とに分けて捉える 1-3. 20世紀以降の心理学
1-3-1. 20世紀前半
仮現運動: 暗室で2つの刺激を短い時間で順に提示→その2つの刺激の間に運動が生じたように知覚される現象 音楽を聴くときも個々の音譜としてではなく、一つのまとまったメロディとして知覚されることがわかっている
これらの現象を通して、人の近くは個々の要素の総和以上のものであり、全体としてまとまりのあるもの(体制化されたもの)として生じていることが示された。
全体の構造が部分を規定すると考える
知覚を研究対象としていたが、レヴィン(Kurt Lewin: 1890-1947)らによって、意図や要求、グループ・ダイナミックスなどの研究にも拡大される(第12章 産業・組織心理学) 内観法による古典的な心理学に決別し、外から観察可能な行動のみを取り上げることでより科学的な心理学を目指す
代表はアメリカのワトソン(John B. Watson: 1878-1958) 子供を対象とした条件づけ実験を通して、行動は「刺激(S)と反応(R)」の結びつきによって形作られていることを示した(第4章 学習心理学) 初期の行動主義は人の能動性を考慮していなかったが、後にスキナー(Burrhus F. Skinner: 1904-1990)が、動物や人の自発的な反応に基づく道具的条件づけを見出し、実践への応用の道を開いた ハル(Clark L. Hull: 1904-1990)は刺激と反応を媒介する主体(O)の役割を強調し、新行動主義を提唱した。 オーストリアではフロイト(Sigmund Freud: 1856-1939)が精神分析を創始した。 臨床医としてヒステリー患者の治療
フロイトの心理療法やパーソナリティ理論は、無意識や性的エネルギー(リビドー)、幼児期の体験を強調しており、後にユング(Carl C. Jung: 1875-1961)やアドラー(Alfred Adler: 1870-1937)の離反を招く 20世紀前半の心理学、哲学、文学に影響
1-3-2. 20世紀後半から現在に至るまで
1960年代: 行動主義と精神分析が主流を占めていた心理学に大きな2つの変革
人間を過去の経験や記憶にとらわれた機械的、病的な存在としてではなく、成長可能性のある健全な個人として捉えることの重要性を唱えた
人の欲求は階層構造をなしており、下位の欲求が満たされると次の欲求が現れる
生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、自尊の欲求、自己実現の欲求
行動主義、精神分析に対する第三の勢力と呼ばれ、現在のポジティブ心理学の源流になっている 行動主義が捨象した内面的プロセス(知覚、記憶、学習、思考、言語、意識など)に再び脚光が集まり、様々な認知機能の解明が進むとともに、学際的な領域である認知科学の発展にもつながった
現在の心理学はいくつかの新しい潮流も生まれている
進化心理学: 人間の行動や心の働きを進化的適応の産物としてみなして研究を行う ポジティブ心理学: 人間の弱みではなく強みに焦点を当て、普通の人々がより良く生きることを目指す 文化心理学: 心の働きの普遍性を前提とせず、文化的文脈と行動との相互関係を追求する 行動経済学: 経済学と心理学を融合させ、主に人の意思決定について研究する 心理学は欧米を中心に発展→文化心理学の立場からは標本(サンプル)の偏りに対する批判も出されている
2003~2007年に発表された論文のうち、研究参加者の96%がアメリカをはじめとする欧米人(世界人口の12%)であり、かつその多くが大学生であったという(Henrich, et al., 2010)
ヘンリックらはこのような偏りをWEIRD(異様な): Western, Educated, Industrialized, Rich, Democraticと名付け警鐘を鳴らした。 研究手法にも新しい潮流が生まれている
伝統的な心理学は数量化されたデータを用いて人間行動の一般原則を見出すことを目指してきた
細分化された法則を生み出すことに終止し、現在の複雑な文脈に生きる人間、能動的に意図を紡ぎ出す存在としての人間を捉えきれていないという批判
ナラティブ・アプローチ: 口頭もしくは文章で語られた物語(ナラティブ)を分析することにより、個人が日常の経験をどのように組織化し、意味づけているかを明らかにしようとする こうした質的アプローチはかつてはあまり科学的ではないとみなされる傾向にあったが、近年は量的アプローチと補完し合いながら、人間の行動や心を理解する手法の一つとして位置づけられるようになってきている。
1-4. 心理学の領域
約150年の間に様々な下位領域が誕生し、学問として体系化されてきた
大まかな分類(この区分は必ずしも厳密ではない)
基礎心理学: 人間の行動や心の働きの原理を解明しようとする 応用心理学: 基礎心理学の原理を各分野での問題解決に活かす 1990年に創設された資格
「この人物は心理学に関する標準的な基礎知識と基礎技術とを正規の課程において習得している」ことを認定